6月 14th, 2009

tbara

今の暮らしの中で大事にしていることはたったふたつ。

ひとつは土曜日2時からのピアノ レッスン。

もうひとつは日曜日2時からの、友人との森林浴散歩。

仕事が一番大事だけど、あとはこのふたつをはずさないこと。

それが今の私の暮らしの柱なんです。

でも、これを守るのは大変、つぎつぎと用事や誘惑や障害が発生する。

それらをバッタバッタと切りすてて、守るべきを守る。いかに大変なことか。

そりゃあ、一回くらい旅行したっていいだろうって思うでしょ?

でもね、そんなことやっていたら守れません、ぜったいにはずさないためには

どこにも出かけない。それくらいの気概がないと守れないのですよ。

前置きが長くなりました。

            ☆       ☆      ☆

今日は夫が水泳の試合で朝早く出かけましたが、私には誘いがいっぱいかかっていました。

夫のお客様で友人でもあるA夫妻とB夫妻から、庭を見に来て、という誘い。

一年に一回のもっとも美しい庭の季節だというのです。

もうひとつ、ふたりの友人から別々にランチに誘われていました。

それからもうひとつ。サマー チェリーを注文していた花農家から午後1時に取りに来るようにとのこと。

自宅とAとBご夫婦の家は小一時間もかかってしまうのです。

この5つのことをこなしながら、しかし午後2時の散歩は欠かすことができません。

さあ、どうしよう!

            ☆       ☆       ☆

朝10時、C子さんとD子さんにわが家に集合してもらって、まずA夫妻の家に伺いました。

庭いっぱいの薔薇が満開でした。

薔薇の庭でお茶をいただきました。

つぎに、C子さんD子さん、そしてA夫人を乗せて、B夫婦の家に伺いました。

待っていてくれたB夫人は、私がひとりでなかったので目を丸くしましたが、

そこは手の早い、社交的な夫人。庭を見ている間に、ランチをこさえて

食べさしてくれました。

人に迷惑をかけながら威張るのもどうかとは思いますが、これで C子さんD子さんとのランチの

約束は果たせました。

それからまっしぐら、高速をつっ走って花農家でサマーチェリーを買い。

その足で1時半には友人の家に着いたのでした。

それからは、「私も」「私も」という3人を入れて、5人でオープン ガーデンめぐりと

森林浴散歩をしっかり1時間半、したというわけです。

           ☆       ☆      ☆

人生の中ではいろんなことに流されていきます。

でもこの年齢になって、やっと大事にしたいことを守れるようになりました。

宴会があっても、途中でさっさと帰ることも出来るようになりました。

宴会に10時までつきあうなんて、まっぴらごめん。

行きたくもない買い物や旅行にも行かない。

今わたしが大切にしたいことは、ピアノのレッスンとピアノを弾ける丈夫な体を作ること。

だって、あっという間に10年、20年と過ぎ。

孫たちはどんどん大きくなって、私はあ、あ、ああああーっという間に墓場に行っちゃうの。

父や母がそうだったから、よくわかるの。

すごくよくわかるの。まわりにあわせ、まわりばかり気にしてるうちにあっという間に

墓場に到達しているものなのよ。

そうやって、こんなはずじゃなかった、もっとしたいことがあった。

そう思いながら、あっという間に死んでいく人々を毎日見ていると。

わたしもうかうかとはしていられないのよ。

わかってもらえるでしょ? 不義理だと言われようと、冷たいと言われようと、

もうそうやって生きていくしか、満足して生きる方法がないってことを。

今日、撮った写真を乗せますね。

ブログはすごく時間をとられちゃうので、ちょっと疑問を感じてはいるんですけど。

こんな生き方をした人がいるんだ。いたんだ。と自分のことを知ってもらいたい時期が

いずれ来るんじゃないかと思ってがんばっているの。

今はたくさんの人に囲まれてしあわせだけど、いずれ孤独になったとき、

インターネットで人とつながっていることが大事になってくる時期もある気がして・・・・・・

(以前、孤独なひとり暮らしだったとき、そうだったから、わかるのよ。それに私のブログが

今、孤独な人のこころをなぐさめているってこともあるかもしれないしね)

A家の薔薇。

miyabara

B家のお庭

yosiniwa

yosikomiti

ランチはホットサンドと サラダ。コーヒーが美味しかったわ。

rannti

オープンガーデン

waremo1

popi

森林浴でミヤマオダマキを見つけました。

odamaki

森林浴はやっぱりいいね。

K子さん、いつもありがとう。

一週間の仕事でね、毒気のようなものをいっぱい吸いこんでいると思うの。

それが「吹き飛ぶ気がして、欠かせなくなっちゃったの。生きかえらせてもらっているわ。

あっ、夫が呼んでるわ。「早く寝なさい!」って。

わたしシンデレラ姫だから。10時になると寝るようにしなければ、明日が生きていけないのよ。

sinnrinnyoku

5月 3rd, 2009

006

人の能力って、咲かせようと思って咲かせられるもの

ではない、というのが私の説。

人の能力

1、自分には自分の才能が見えない、他人が見つけてくれる。

2、気がついたら咲いていた、ということが多い。

いずれにしても咲かせようと思って咲かせられるものではない。

      ☆     ☆     ☆

建築で才能を発揮した夫は、

「もっと芸術的なことでもうひと花咲かせたい」が口癖だ。

そして、あれやこれやに手を出し続けていた。

私はううんざりしながらそれを見るこの8年間だった。

ところが最近、思わぬところから「緑の新芽」が出てきた。

想像も予想もしなかった事態が起きてきたのだ。

      ☆     ☆     ☆

夫は私と違って、人間関係に無関心だ。文章を書くこともきらいだ。

本や新聞なんて、まったく読まない。だから知識なんていうのもない。

もっぱら関心事は自然現象とか技術的なことそして音楽。

書斎派ではなく、器用で何でもこなしてしまう技術屋さん。

それが最近、ヤフーの知恵袋とかいうサイトで 人生相談の回答者を

やっていて、つぎつぎに ベストアンサーに選ばれるのだ。

最初は建築関係の相談にのっていたのだが、建築関係の

相談って想像以上にやる意味がないらしい。

そこでだんだん人生相談のほうに移っていったという。

ベストアンサーに選ばれるのは、それなりに大変だ。

私が読ませてもらっても「う~ん、うまい!」と思う。

本人は、今書くことがおもしろくておもしろくて仕方ないという、そしてつぎつぎ

ベストアンサーに選ばれていく。

回答は「なるほど」と納得がいったりする。

味やロマンがある。説得力がある。

時にはユーモアがあって。

余計な知識がなくて、自分の感性を頼りに生きてきたからこその

シンプルさと合理性。

       ☆     ☆     ☆

私たち夫婦は 10年前にインターネットの結婚相談所というサイトで

知り合って結婚した。

考えてみれば、夫の書いた自己紹介の文章に感じるものあって

ひっかかったのは(だまされたのは)私のほうだ。

そして私が出したメールの返事にも、誠実さや優しさや知恵など

感じるものがあって、メール経験の多かった私は「うん、間違いない」と

結婚を決めた、といういきさつがある(私の勘の良さは、知る人ぞ知る)

あのとき、夫の才能はすでに片鱗を見せていたのだ。

そして8年間はおとなしくねむっていたのだ。

文章には、夫のシンプルで誠実でロマンチックな性格が

もろに出ている。

      ☆     ☆     ☆

人の才能とは、咲かせようと思って咲かせられるものではない。

まわりがどう育ててあげようというものでもない。

気がついたら「咲いていた」という不思議な代物だと思う。

        ☆     ☆     ☆

「わたしも」と思わぬわけではない。

わたしの考えでは「自分では気づかぬ」ものだから、いつか

何かで花開くのを楽しみに待つとするか。

死ぬまでに間に合うも良し。

間に合わぬも良しとしよう。

1月 6th, 2009

 dsc00716.JPG

新しく見つけたピアノの先生のレッスンに行きました。

どの曲にしようかしら、と迷っていると、

先生「これから50年も生きられるわけではないのだから、一番好きな曲にしなさい」と。

私「一番好きな曲は超難曲です」

先生「死ぬまでに弾ける曲は本当にかぎられるのよ。かぎりがあるのよ」

私「超難曲でもいいんですか」

先生「どんなにむづかしい曲も分解したら、ひとつの♪ よ。ひとつの♪ のつながりよ。

   みんな自分なりにしか弾けないのだから、それでいいのよ。生がかぎられていると

   いうことをよく考えてから決めなさい。きっと一番好きな曲を練習してみたいと思うよ」

私「じゃあショパンのノクターン 遺作20番にしますね」

          ☆     ☆     ☆

誰でもが通り抜けるというバイエルさえ、まだほとんど弾けない私です。

でも生には限りがあるのだから、好きでない曲の練習のために、時間を割くのはどうかしら、

という先生の言葉は重く響きました。

実は元旦から書き始めた年賀状の返事、まだ数枚しか書けていないのです。

気になって、どこにでも持って行くのですが、何かしら障害がおきてきて書けないのです。

でも考えてみると、年賀状を書くというのは きらいみたいなんです。

全部違う相手に、同じ絵と文章と・・・どうも好きでないみたいなんです。

だって、毎年書けないまま同じことを30年繰り返しているのですから、そうとしか思えません。

何事にもとらわれることのない私が、やはり年賀状にこだわるのは、いただいた方の気持ちを

ありがたいと感じるからです。

でもやっぱり年賀状は性分にあわないのです。

だったら ヤーメタ! と 今日はカンネンしました。

一番好きな曲を練習しましょうという先生の言葉は、今 私が一番好きだと思って

いることに大切な時間を使いなさいね、という風にも聞こえるのでした。

12月 10th, 2008

株価と病気が関係しているだなんて、誰が考えるでしょうか。

でも私は、これほど似ているものはないと思っています。

患者さんは、病気が治り始めると喜びます。

でも、一本調子で良くなるわけでなく、かならず調子の悪くなる日があります。

するとショックを受けるのです。

調子が良いとうれしい、出来ないでいたことをしたくなるし、つい無理をする。

するとかならず病気は少し悪くなります。

でも、悪くなると無理がきかないのでしばらくおとなしくしたり規則正しく暮らします。

するとまた病気は良くなってきます。

良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、その波に乗っていると、かならず病気は快方に向かう。

そのあたりの加減を、いかに早く覚えるかということが病気を治すコツです。

「ずっとあがりっぱなしだったら、昇天してしまいますよ」というと笑いながら納得してくれます。

最近の株の動きを見ていると、株価の上下と病気の治り具合はすごく似ていると思う。

高くなったら必ず調整が入る。逆に下がりっぱなしということも物理的にあり得ません。

下がりすぎたら、誰かが買って上げるのですから。

株価の上下は、経済学者やファイナンシャル プランナーの予測より、人間集団の

心理的なものに、より多く動かされているとつくづく思うのです。

睡眠や食事(実態経済)を無視して、楽しいことばかりやっていると病気になる(つまり

金融恐慌が起きる)

実体経済が悪くなってもいなくても、集団心理が「悪くなった」と思えばそれだけで

株価は下がります。

心の病気も体の病気も、症状だけの一喜一憂せず、「いつかは治るサー」くらいに考えて、

調子の悪いときは「調整の入っているとき」と考えて焦らない人のほうが、早く良くなります。

人生を良くするも悪くするも、病気を治す治さないも、すべてはその人の知恵にかかっています。

心理的なことや知恵は何事においても、人が考えている以上に大事です。

10月 24th, 2008

関西医科大学心療内科学教授・中井吉英先生の講演を聞きに行った。

九州大学池見寅次郎教授の弟子である。

 まずは精神科・神経科・心療内科・神経内科の違いを説明したい。

精神科とは、カラダに異常がない精神的な疾患をみる科である。カラダの診察はまずしない。

神経科イコール精神科である。「精神科」が聞こえが悪いので「神経科」と呼ぶことがある。

神経科を標榜している医師は精神科医である。

これに対し心療内科とは、内科学のひとつである。体に症状が出ている人に対して、カラダの面と心理的な面を切り

離すことなく、両面から診る。だからカラダの診察が主体である。しかし面接も重視する。

神経内科は、脳や脊髄などの疾患をみる純粋の内科医であって、面接は重視しない。

神経内科医は脳神経科とも通ずる純粋身体科医師である。

私は精神科医であるが、クリニックを開いたとき最初は「神経科」つぎに「心療内科」と標榜した。

そのほうが患者さんが来院しやすいと考えたからだ。今から17年も前だ。

しかしその後、開業する精神科医の8割以上が「心療内科」と標榜するようになった。

これは実は良くないことだと中井教授は考えているようである。

精神科と心療内科は似て、非なるものなのに、受けが良いかどうかだけで標榜するのはたしかに

まぎらわしいことだ。中井先生ならずとも最近ちょっと腹だたしい気がしている。

しかし、世の中に精神科医は多いが、心療内科医は少ない。優れた心療内科医はほとんどいない。

だから 本物の心療内科医ってどんな人なのか見たくて、講演に行った。

講演といっても身内の勉強会だったので、講演のあと、個人的に話しをしに行った。

「私は精神科医師なんです。最近、精神の病気ではないのに、身体的な症状の原因がわからないからと

いうことで精神科にまわされてくる人が多いのです。でも私は内科の素養がないので困っています。

内科医もわからない、精神科医もわからない、そんな症状を呈する人に対して、中間の、機能性の障害が

あるような気がしています。ですので、気のせいです、とか 気にしないように、とかだけは言わないように

して、私のわかる範囲で仮説を立てて説明するようにしています」と話した。

中井先生から「そんな風に言う精神科医に初めて出会いました。うれしいです」と握手を求められた。

「それでいいんです。機能性の障害ということもあるので、一緒にさがしましょう」と言ってあげるだけで

患者さんはどれだけ救われることか」と言われた。

できるなら 漢方などの処方も使えるようになったらいいですね、とのこと。

久ぶり目からウロコの一枚落ちた講演会だった。

プロ中のプロってやっぱりカッコいいね。

名刺をいただいたのに、わたしは自分の名刺を作っていないので、かわりに自分の書いた本を渡した。

もうそろそろ、つぎの名刺代わりの本を出したいところだが まったくその気配がないのはさびしい。

 でも反面、遊びまくりたい。

今月30日の今年最後の講演が終わったら、「遊びまくる」か やっぱり「何か書くことにこだわる」か考えようと

思っている。

 仕事もたしかに楽しいのだけど、講演や原稿とかが入ると、気にかかって遊ぶ気持ちになれない。

もう、思いっきり自分を甘やかして、遊びまくりたい気持ちもある。

どっちするか楽しみながら迷いたい。

1月 26th, 2008

お金とこころもセットになっています。

精神を診る医者だから、お金のことなんかそれほど気にしないでしょ?って
思うかもしれない。

でもこれは私の考えなんですが、お金ほど心に影響を与えるものは他には
ないと思います。

患者さんを診ていて「食べたくない」とかの訴えがあるとします。

どんなものが好きなの?
だれが作っているの?
どこで買い物するの?
お金は十分にある?

とかそういう現実的なことを聞くことがあります。

私自身、ふだん現実の暮らしをしているわけだし、どんなにカッコいいこと言ってたって、それだけじゃ生きていけない。

そうすると 必然的に 患者さんの金銭的な面があらわになっていくこともあります。

「食べたくない」って 一言に言うっても、

お金があるのとないのとじゃあ 話が違ってきます。

愛情とか優しさも お金に影響されます。
すごく影響されるってこと 知ってました?
わたしは「すごく影響される」のが ごくフツーの人間の性(さが)だと思う。

すごく優しいお嫁さんと、冷たく見えるお嫁さんがいます。

でも 結婚して、夫の働きが悪くて、しかも舅姑たちに借金があって、お嫁さんも
必死で働かなかったら食べていけない。

そんな余裕のない暮らしをしていて、病気で入院したお姑さんに、こころから優しくできます?

わたしだったらむつかしい。

だから 経済的に、その人がどんな状況に置かれているかについては、わたしはかなりつっこんで聞くことがあります。

優しくて余裕があって・・・・・という場合には別だけど、イライラしていたり
気持ちがすさんでいたり、人に思いやりがかけられなかったり やる気がイマイチ
出なかったりって場合には、経済的に心配のない状況にあるかどうかについて
思いをはせてみるのも ひとつの方法かもしれません。

その人の経済面を心配してあげるということは その人の気持ちを気にかけてあげると
いうことと同じです。

そうそう。反対のこともあります。
親が子供に金銭的に甘くしたり ルーズにしたりして 子供の心をだめにすることなんて
本当に簡単にできます。

お金に恵まれている場合、お金が悪さしないように知恵を働かせないと、子供をだめにする
場合が、おうおうにして見られます。

反対に貧乏な中で子育てすることは大変なご苦労だと思いますが、ごく自然に我慢させたり
工夫したりできるので、いい子が育つことも想像以上に多いのですよ。

1月 6th, 2008

今日の朝日新聞に、40年間ひそかにブラジャーをつけ続けている
大手企業管理職の58歳男性の記事がある。
仕事人として、立派に役職を果たしながら 一方では毎朝 30いくつものレースのブラジャーの中から、その日の気分にあったものを選ぶという。

たった3枚か4枚の きわめてシンプルなブラジャーしか使いまわしていないわたしより、よほど 女性的であることには間違いがない。

こういう男性は、世の中に想像以上に いっぱいいる。

どんな男性にも、かならず女性性がある。
どんな女性にも、かならず男性性がある。

男性性とは、人間の中の 男性的な部分、たとえば きっぷが良いとかリーダー
シップがあるとか決断力があるとか、はたまた 粗野で粗雑であるとか相手に気配りが欠けるとかいろんな色合いがある。

かたや女性性にも、優しく、美しいものを好み、世話好きで暖かいという面だけだけなく、心配性で うじうじしていて 決断力がなく 嫉妬深いなどの面もある。

どんな男性も 100%男性性しかなかったら、シュワルツネッガーみたいになってしまうし、どんな女性も 100%女性性しかなかったら、昔の中国の 纏足の女性みたいに自己主張のまったくない人になってしまう。

自分を考えてみてほしい。
自分のまわりをみまわしてみてほしい。

男性でも、ロマンチックで静かな音楽を好んだり、かわいい装飾品に関心があったり、女房のつくる料理の段取りを知っていたりする人がいる。そんな男性は、相手のこまかな心模様を手にとるようにわかっていたりする。

そんな人を相手にすると、女性は話も合うし、気持ちをわかってくれるし、やはりうれしいものだけど、度が過ぎると 気を使うし、こまかすぎて うっとうしい。

過ぎたるは 及ばざるがごとし。
女心なんかには ちっとも関心のなさそうな 鈍感な男性を見ると 案外 ホッととしたり 世話を焼きたくなるのもまた 女心というものである。

さて、わたしはどうかというと、こういう職業を続けているということは 女性性が高くなくてはぜったい出来ない。
患者さんが ああでもない、こうでもないと愚痴っても、何時間でも聞いていられる。
男性でもカウンセラーなどをやっている人は 女性性が特別に高いと思ってまちがいがない。
そういう男性のパートナーは、男性性の強い さっぱりした女性が合うというか
お互いに ホッとするのではないかしら。

一方で、医師というのは決断力がいる。決断の連続だ。うじうじしていては勤まら
ない仕事。
なので 男性性も相当に高いのである。
女性性が 6か7、男性性が 3か4くらいはあると自分では思う。

だから 男性性のあまりに高い、「おれについてこい!」タイプの頼りがいのある人を パートナーに持つと ぶつかるかもしれないね。

わたしの夫は男だ(もちろんだけど)。
会社を経営して若い人を 使っているので決断力の塊、すごく男性的だ。

ところが 一歩内面に立ち入ると、いやいやビックリ! 男性のわりにはけっこう繊細で神経質、そして めちゃかわいいものが好き。
レースのカフェ カーテンを買ってきてセットするのは夫だ。
でも 私が男っぽいからちょうどいいかなあと思ってみている。

というよりか、家にいるとバランスをとるために だんだん男性的になり、あまり
こまかいことにこだわらなくなっている自分に気づく。

どの夫婦も そうやって バランスをとっているのかもしれない。

いずれにしても、自分の中の男性性と 女性性を自覚すること。
自分の中で バランスよく配置すること。

そうすることで 生きていきやすくなったり、異性とおつきあいするときも(恋愛ばかりではなく 職場やご近所づきあいも含めて)相手を 理解しやすくなると思う。

そしてわたしの提言。

世をリードする男性たちが、自分の女性性を自覚し、少しでも伸ばしていくだけで
世の中は今より平和的で暮らしやすくなると思うのだが・・・・・

12月 26th, 2007

精神科医の教科書は何だと思います?
フロイトですか? それともユングでしょうか?

答えはどちらも「ノー」です。
精神科医の教科書、それは<自分の心>です。

たとえば誰かの一言でおちこんだとします。
ふつうなら、落ち込んだ自分を嘆いたり、あるいは自分あるいは他人を責めたりします。

そうせずに、そこから学びはじめるのです。
あの人のどういう言葉に傷ついたのか、
なぜそれに自分は傷ついたのか、
それが自分のプライドと深くかかわったいたからなのか、
人間ってこんなにつまらないことで落ち込むものなのか・・・などなど。

他人のこころは見えません。
見えるのは自分のこころだけ。だからそれしか頼りがないのです。

自分の中におきてきた感情をまず認める。そしてその感情と他人との間に起きる気持ちの変化(精神力動といいます)をもとに学びます。
それを治療に応用し、その結果をまた自分にあてはめる。
その繰り返しです。

だから、わたしは毎日毎日忙しい。

自分の気持ちを、まずはそのまま認めてやる。その上で「患者のワタシ」の心を「精神科医のワタシ」が観察する。
これなら、あなたにも今日からできるでしょう。

これ名づけて「だれでも精神科医になれる法」です。

いかが?

12月 25th, 2007

幸福の風景

脳に重い障害を持って生まれ、起き上がることも話すことも、自分で食べることさえ出来ないまま20歳を迎えた青年を受け持ったことがあります。

日曜日になると、お母さんが妹や弟を連れて面会に来られました。3人はベッドのそばに寄り添うようにして青年を囲み、一時間ほどの面会時間を、話しかけたり食べさせたりして帰っていかれるのです。妹も弟も、やさしいしぐさで兄の面倒を見ていました。そこは 重い精神遅滞の方や 精神遅滞は軽くても精神的に不安定であるために家庭で暮らすことのむつかしい方が主に暮らしていました。家族にみはなされたようなかたちで 面会に訪れる人さえいない方もいました。看護師さんたちはお世話に忙しく立ち働いていましたが、医師として治療的にしてあげれることの少ない方の病棟です。

その青年が、手足を動かすことも話すことも出来ず、笑い顔さえほとんどないまま寝ているそばで、お母さんは屈託なくしあわせそうに話しかけていました。まわりは弟や妹の明るい声や笑い声に包まれていました。それはしあわせのひとつのかたち、幸福の風景でした。

その病棟とは別に、わたしが当時、医師として主に受け持っていた病棟は 重い精神病の方の病棟でした。家族の誰かが重いこころの病のために入院すると家族の暮らしは一変します。「なぜこんな病気になったのか、不幸なことだ」と家族は嘆きます。暗く落ち込んだり苦しんだり、時には 病人と家族の間で修羅場がくりひろげられることもあります。心の病の場合、もともと普通の能力を持った方が病気のためにいろんな面で障害がおきてきます。病前には出来たいろいろなことが出来なくなり、本人も家族も苦しみます。人間は誰でもそうですが、「持っているもの」って持っていてあたり前になってしまうんですね。もともと持っていたものを何かの理由で失うほど辛く苦しいことはありません。
また からだの病気ははずかしくないけれど、こころの病気は 人に言えないはずかしいことという世間体もあります。

そういう環境にいたわたしが、たまの日曜日に訪れる病棟で垣間見た青年とその家族の風景。

存在しているという、ただそれだけでまわりをしあわせにするということがあり得る。
ただそばに寄り添うだけという、そういう愛情のかたちがある。

その風景は 今でもわたしにとって、しあわせの原点、愛情の原点です。

12月 24th, 2007

せっかく行きたかった高校に入学したのに、いろんな事情から不登校になっている少女がいます。
高校には行けないのに、週末にはアルバイトをしているということです。
それもけっこう長く続いていて、それなにり頼りにされているようなのです。

もちろんご両親は嘆きますよね。せめて高校だけは出てほしいと。

でも私の考えは違うのです。
どんな仕事でも、赤の他人の中に混じって働いて、お金を得て帰ってくるって、すごい能力だと思うんです。

学校生活で得られることはもちろん、とても大切なことばかり。

それでもなお、わたしはアルバイトをしているその少女を精一杯応援しています。

勉強のできる子供が、社会に出てからうまくいかなくなる確立って
けっこう高いものがあります。
でも、若い頃からからだをはって働くことをしてきた若者が、
社会でうまくいかなくなる確立って、ほとんどないんです。

そんなことみなさん、知ってます?
知らないの? それとも知りたくないの?

勉強はいくつになってもできますが、働く習慣は若いほどいい。
若くて、誰に注意されても「はいっ!」って聞けるすなおなこころを持っているときに。

もしあなたの子供が、学校に行きたくないといったら。
せめて高校だけは・・・などという姑息的な意見でごまかす前に。

いいよ。
じゃあ 働きなさい。

ぜひそう言ってあげてください。

若い人をたくさん診てきた私の、
今もっとも大切にしている考えのひとつです。